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辺見庸の「生体が悲鳴を上げている」(『週刊金曜日』2009年1月30日)についての批評。
―思想的ラジカルの、現代日本でごく少い実例の一人―

公開日時:2009年01月30日 12時35分
更新日時:2009年02月27日 23時08分

平成二十一年(二〇〇九年)一月三十日(金)
(第二千六百八十三回)

〇辺見庸が「週刊金曜日」(二〇〇九年一月三十日号)に
「生体が悲鳴を上げている」

〇と言う文章を発表している。

〇このひとは、共同通信の記者、芥川賞作家。

〇「週刊金曜日」に書くと言うことは日本の社会では「左翼」なのであろう。

〇 「その中でも一番危機的なのは哲学です。深い内容思索がない日本の状況を金融
工学だとかお金で証明する人間は、掃き捨てるほどいるのだけれど人間の生き方
の問題として、この状況を背にした人間とは、一体何なのか、人間は、どうなる
べきかということを語る人間はごく少ない。言語と思想、哲学として、これほど貧し
い時代というのは実はないのです。」(二〇頁)と。

〇このひとは、
「暗中模索」だと言う。

〇おかねで説明する人間は、掃いて捨てるほどいる......と。

〇しかし、人間そのもの、哲学、思想は限りなく貧しくなって行く、と。

〇このひとは、伝統的な意味では「左翼」とは言えない。

〇このひとを、
思想的「ラジカル」と言うことは、出来るだろう。

〇 「一〇〇年どころか、人類史上、初めての大きなクレパスをいまわれわれは足もと
に見ているのではないか。」

〇 「その波の大きさがわからないままだから、手近のお金と経済の問題に矮小化する。」(十九頁)

〇これらの指摘は、現象論としては、間違ってはいないだろう。

〇しかしこのひとは、ラジカルを超えて、イルミナティ(ユダヤ、フリーメーソン......)
の陰謀の次元が存在するとは、夢にも思わない。

〇にも拘らず、現代日本社会では、このひとは、「ラジカル」派の、ごくごく少ない
実例の一人である。

〇そのような存在として、注意深く観察の対象とさるべきであろう。

〇今の日本には、「ラジカル派」は、殆んど全く存在しない。

〇「今ほど精神の根が狂(たぶ)れている時期はどこにもなかった」(二十頁)

〇精神の根(ラジカル)が、狂(たぶ)れてしまへば、ラジカル派は成立しない。

〇ラジカル派が存在しなければ、日本人はまるごと、イルミナティサタニスト世界権力の
「羊人間」として存在するしかない。

〇いな、今や、「羊人間」でさえあり得ない。

〇アイクが「マトリックスの子供たち」(邦訳本は、徳間書店『竜であり蛇であるわれら
が神々』)で全面的に展開したように。

〇ドレイは、架空現実の世界に落ち込んだまま、そこから脱出出来ない。

〇このことは、既に、ブレジンスキーが、一九七〇年に出版した
「テクネトロニック・イーラ(高度電子工学的時代)」の中で、予告している。

〇更に言へば、「シオン長老の議定書」の中で、アジェンダとして設定されている。

〇「タヴィストック研究所」(コールマン著、成甲書房)については言うまでもない。

〇ここで、辺見と言う作家が、暗中模索させられているものの正体は、
オカルト体制であり、オカルト神権政治(テオクラシー)である。

〇オカルト神権政治体制(テオクラシー)については、
コールマン著「秘密結社全論考」(成甲書房、上下二巻)参照。

(了)

 




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